コミュニティ (ちくま学芸文庫)本ダウンロード

コミュニティ (ちくま学芸文庫)

奥井 智之 / 本

コミュニティ (ちくま学芸文庫)本ダウンロード - 奥井 智之によるコミュニティ (ちくま学芸文庫)は筑摩書房 (2017/12/7)によって公開されました。 これには250ページページが含まれており、本というジャンルに分類されています。 この本は読者からの反応が良く、4人の読者から4.1の評価を受けています。 今すぐ登録して、無料でダウンロードできる何千もの本にアクセスしてください。 登録は無料でした。 サブスクリプションはいつでもキャンセルできます。

コミュニティ (ちくま学芸文庫) の詳細

この本を見つけたり読んだりすることにした場合は、コミュニティ (ちくま学芸文庫)の詳細を以下に示しますので、参考にしてください。
タイトル : コミュニティ (ちくま学芸文庫)
作者 : 奥井 智之
ISBN-104480098259
発売日2017/12/7
カテゴリー本
ファイルサイズ29.17 (現在のサーバー速度は25.54 Mbpsです
コミュニティ (ちくま学芸文庫)本ダウンロード - 内容紹介 グローバル化し個別化する世界のなかで、コミュニティはいかなる様相を呈しているか。安全をとるか、自由をとるか。代表的社会学者が根源から問う。 内容(「BOOK」データベースより) グローバル化と個人化がたゆみなく進行する世界。そのなかでコミュニティは、いかなる様相を呈しているのであろうか。かつて人々は、各種のコミュニティを安定的な生活基盤としていた。いまやそれらは衰退し、人々は自分で自分の進路を選択しなければならなくなっている。「失われた楽園」に戻りたい、という願望は根強い。その際人々は、安全と自由を同時に手にすることはできないというディレンマに直面する―。原子化される世界。そのなかを彷徨する人々。この現代のディアスポラ(離散)を「社会学の巨人」が渾身の筆致で描き出す。 商品の説明をすべて表示する
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以下は、コミュニティ (ちくま学芸文庫)に関する最も有用なレビューの一部です。 この本を購入する/読むことを決定する前にこれを検討することができます。
最近、私の仕事で小さなコミュニティから開始する仕事を結構意識して動いている。なぜか。大きなコミュニティは、小さなコミュニティを囲い込んでしまい、次第に息苦しい存在にしてしまうからだ。伝統的な共同体も今では息苦しい存在なのは、過疎化した村落で、よそ者を受け付けずにそのまま共同体そのものが崩壊するケースが多いことは聞いたことがあるだろう。この本が、松岡正剛の千夜千冊の第1237夜で詳しい解説が載っていて、読む気になったので以前読んだのだが、読み返してみると、この本がIT革命の渦中だった頃の2001年の出版で現代(2018年)に至ってはこの議論は誰もが気づいている「常識」のレベルに至ってことに驚いた。バウマンがこの著書を書いたのが75歳だということには今更驚かない。引用している著書や軸にしている本が、いささか古さも感じるし、これは訳者の責任もあるが文体がやはり古く悪文である。こういう文体がなぜ生まれるのは、バウマンが東欧ポーランド生まれのユダヤ人であることとは無関係ではなさそうだ。ナチスドイツにポーランドを追われソ連に亡命し、帰国後、ポーランド軍で少佐まで出世するも反ユダヤ主義の動きから国を追われる。イスラエルで大学教授になり、71年からはイギリスのリーズ大学の教授になる。結構波乱万丈な経歴だと思いませんか?当時のアシュケナージ・ユダヤ人はこういう感じであちこちの国に身を寄せて、色々な言語を次々の駆使しなくては、生きることすらままならなかった経歴が、こういう悪文を生み出したと思う。同じ時代で、この本でも引用されているカール・ポランニーにしても、ハンガリー語、ドイツ語、英語、フランス語等チャンポン状態だ。バウマン自身、ユダヤ人だからこそ、コミュニティで置き場所に苦悩している様があることで、知識人階級で生きるためには多数の著書を出版して、「実績」を残さずしては学際社会から排除されることは意識していたのだろう。だからマイノリティに対して只ならない愛着が文章から生まれるのは当然かと思う。バウマンの議論は、現代でこそ意識する必要がある。特に「ペグ・コミュニティ」だ。ペグというのは「釘」のことだ。訳者はこの比喩をもっと意識的に意訳するべきだと思った。例えば「出る杭コミュニティ」とか。これが意味することは「出る杭は打たれる」に象徴される様に、社会はそういう「逸脱」を許さないのだ。「逸脱者」は排除するか、囲い込んで「境界」内に取り囲んで「家畜」の様に飼いならそうとする。NPO法人になると経理や情報も公開義務があるので組織の秘匿性や隠蔽が難しくなり、やがてツルツルの無害な「家畜」として社会の「養分」にされる。社会というのは、人間の共通感覚の集合体のことであり、生命体の様なものだ。病原菌は取り込んで「免疫」を作り、社会に有益なものならそれを秩序の中に組み込んでしまう。取り込めないのなら囲い込んである領域に押し込めるか、それが無理なら「排除」する。社会における「逸脱」という問題は、古くからあり、また現代的な新しい問題でもある。IT社会によって加速的に情報処理のスピードアップが図られ、国家ではもはや制御が出来ない程乱立したコミュニティが、今では山ほど生まれている。アラブの春に象徴される様に、コミュニティや繋がりによる個から集団化する運動のスピードは国家の処理が追い付けない程になっている。勿論これによって「責任を負わないきずな」は社会や国家を崩壊させるケースを、さらに囲い込もうとする動きと対立していこうとするか、妥協して社会システムに組み込もうとする動きと両極端だが、恐らくどちらも正解ではないだろう。とても過激な内容すぎて、恐らく再版は不可能と思われる問題作「罵論・ザ・犯罪―日本「犯罪」共同体を語る」はこの内容の議論が含まれる。小室直樹氏と長谷川和彦氏の過激さが特に素晴らしい(笑)。バウマンは「倫理的なコミュニティ」の構築は出来るだろうか?と投げかけている。私もその様な疑問にはとても応えることは無理だ。けれどこれは問題を考えるに当たっての指標となる良書だと思う。

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